わたしの中の『資本論』

*働きながら、『資本論』を勉強しています。

生活保護費減額は、「適法!」 これが資本の精神!

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やっ、ヤバイ! 236円であと何本人参が買えるかな?


 3月29日、札幌地裁は、2013年から2015年の生活保護費削減処分の取り消しを求めた訴訟に対して、「適法」という判決を下しました。約1ヵ月前に大阪地裁が「違法」としたことに対するアンチです。

 大阪地裁は、2月22日、生活保護費基準の引き下げは、「消費物価指数よりも著しく大きい下落率を基に改定率を決めており、統計などの客観的な数値との合理的関連性を欠いた」、と大阪地裁判事は判断し、生活保護受給者の訴えを認める判決を下しました。

 つまり、厚労相による保護費削減の判断過程に、裁量権の逸脱があったことをみとめ、「違法」としたのです。

 札幌地裁の武田裁判長は、「生活扶助基準の改定で、厚生労働相裁量権の逸脱があったとは言えない」と判断。その上で、原告らの生活が「社会的、文化的面から見ても、最低限度の水準を下回っていると認められない」と結論付けました。憲法にも違反していない、ということです。

 さて、これが、首相が「最後には、生活保護があります」と主張する最後の「公助」の真実です。

 コロナ禍で労働者は、職を失い、住居を失い、命を失うという中で、生活保護費の削減に苦しむ利用者にビンタを食らわす判決に、私は怒りを覚えます。これが、コロナではっきり見えてきた、資本主義社会の矛盾です。

 マルクスは、『資本論』のなかで、次のようにいっています。

「……あとは野となれ山となれ! これが、あらゆる資本家およびあらゆる資本家国民の標語である。だから、資本家は、労働者の健康と寿命にたいしては、それを顧慮することを社会によって強制されるのでなければ、なんら顧慮しない。肉体的および精神的な委縮・若死・過度労働の責苦・にかんする不平については、資本家は答えていう、―― そうした苦しみはわれわれの楽しみ(利潤)を増すというのに、なんでわれわれを苦しめようか? と。」

 これが、資本の精神です。

 裁判所の判決は、この精神を代弁したものだと思います。