わたしの中の『資本論』

*働きながら、『資本論』を勉強しています。

◇◆◇ レ・ミゼラブル『民衆の歌』についてコメントをいただきました。

☕このコメントについて、返信する際に、わたしはいろいろ考えさせられ、学ぶことがありました。

 

*〔挿絵について〕

 「これは、違ったら、すみませんが、自由の女神 ドラクロワの摸写でしょうか?

フランス革命関係でしょうか?」 (山口さんより)

 

**このコメントついて、わたしはつぎのように返信しました。

 山口様

 コメントありがとうございます。

 問い合わせのドラクロワの『自由の女神』の絵は、1830年の7月革命の民衆を導く「女神」が主題になっています。彼女は、「三色旗」を手にしています。

 わたしが描いた絵は、1830年7月革命の2年後の「6月蜂起」(エンゲルスは、後に「6月革命」といっています)を、題材にしています。

〔豆知識〕

 1789年、フランス革命が勃発。ルイ王朝は打倒されましたが、王政が復活しました。

 1830年、7月革命。7月27日~7月29日は「栄光の3日間」といわれています。 これにより、ブルボン朝は再び打倒され、その後、ブルジョアジーの押す、ルイ・フィリップが王位に就きました。

 このブルジョアジーの利害を体現している王制に対する、学生と建築労働者、店員たちの蜂起が「6月蜂起」です。ゆえに、彼らのメインの旗の色は、“赤”なのです。ブログの絵のバリケードの上の真ん中で赤旗を振っているのは、映画『レ・ミゼラブル』の中で、最後まで闘った学生のリーダーです。

                                                      

 ***このやりとりについて、中村さんから、次のようなメールをいただきました。

 

 「そうすると、この絵は、映画のその場面を思い起こして描いた、ということなのでしょうか。

 また、そうすると、レ・ミゼラブルは、――私は、小学校の教科書でのジャンバルジャンと新聞でのミュージカルの宣伝広告でしか知らず、まったく無知なのですが、――フランス大革命でもパリ・コミューンでもなく、この1832年の6月蜂起とそれに至る歴史的過程を背景として描かれている、ということなのでしょうか。成長したコゼットやマリウスやエポニーヌだったかもう一人の女性がこの6月蜂起に登場する、ということになりますよね。そうすると、ユーゴーは、この闘いをたたかった学生や底辺の民衆=プロレタリアに共感していた、ということになりますね。」

 

 **** ☕

 新たなことを知った中村さんのワクワク感が伝わってくる、とても嬉しいメールでした。

 実は、原作者のユーゴーは、1832年6月の学生や労働者たちの蜂起を指導した秘密結社「レプブリカン」のメンバーでした。この蜂起の銃撃戦の最中、バリケードの中にいたのです。そのユーゴーが、『レ・ミゼラブル』のラストシーンに、実際あった1832年の6月蜂起を取り入れたのでした。

 1830年の7月革命によりブルボン朝が倒れた後、ルイ・フィリップが王位に就きますが、ブルジョアジーが潤う傍ら、プロレタリアはあいかわらず抑圧と貧苦にあえいでいました。この憤懣が爆発したのです。

 ユーゴーは、『レ・ミゼラブル』の中で、当時のフランスのプロレタリアの現実を見事に表現しています。

 ジャン・バルジャンは、親代わりに育ててくれた姉の7人の子どもたちに食べさせるために、パンを1本盗んだ罪で、19年も投獄されました。

 ジャン・バルジャンの養女になる前のコゼットの母ファンティーヌは、子供がいることがばれて工場を解雇され、コゼットの養育費を工面するために、髪と前歯を売り、売るものがなくなって自分の身体を売るようになりますが、当時の貧民街では珍しいことではなかったようです。※マルクスは、当時の悲惨な現状を『経済学・哲学草稿』で、つぎのように書いています。

 「この機構は、ひとびとをしてこのように賤しい種々の職業、このように悲惨で辛い零落へといやおうなしに陥らせるので、それと比べると、未開状態の方が王様の境遇であるかのように思われるほどである」 「街路をさまようこれらの不幸な女たちが悪徳の生活に入ってからの平均寿命は6年ないし7年である。」

 

 ☕さて、『レ・ミゼラブル』の中で見落としてはならないことは、まだ階級意識に目覚めていないとはいえ、1832年6月、労働者たちが、ブルジョアジーの押す王制を打倒するために立ち上がった、ということです。この闘いが、16年後の2月革命の闘いに引き継がれたのだ、ということです。

 しかし、わたしの前回のブログでは、このことが十分に表現されていませんでした。そのため、中村さんは、山口さんのコメントに対するわたしの返信を読んで、驚いたのでした。現実の闘いは、『民衆の歌』の世界よりももっと進んでいて、ブルジョア革命の枠内での闘いというものではなく、“自由”を突破する形で闘われたのだ、ということを感じたからです。わたしは、中村さんのメールを読んで、やっとそのことに気づきました。