わたしの中の『資本論』

*働きながら、『資本論』を勉強しています。

〝放射性汚染水〟を海に流してはいけない!

◆ドイツが脱原発完了! 廃炉までには課題は残るが……

 このブログを書いているときに、ネット・ニュースが飛び込んできたので、引用します。

 「ドイツで15日、東京電力福島第一原発事故を受けて決めた脱原発が完了する。稼働中の最後の原子炉3基が同日夜(日本時間16日朝)、送電網から外れて運転を停止し、国内の原子力発電量はゼロになる。同事故後に脱原発が実現するのは先進7カ国(G7)で初めて。原発推進の日本と一線を画し、今後は再生可能エネルギーをさらに拡大する。」(2023年4月14日 信濃毎日新聞デジタル)

       

①本当は怖いトリチウム

 政府は、福島第一原発事故による汚染水が増えて、「汚染水を貯蔵するタンクを増設する敷地が足りない」ことを押し出して、そのことを〝口実〟に、放射性汚染水の海洋放出を決定しています。そのため、政府や東電は、トリチウムの人体や環境への影響を、とにかく軽いと宣伝しています。トリチウム水は、外部被曝による人体への影響は考えられないし、体内に取り込んだ場合にも速やかに体外に排出され(生物学的半減期は、10日)、特定の臓器に蓄積することはない、というのです。

 政府も東京電力も、福島第一原発事故の放射性汚染水は、ALPS(多核種除去設備)によって、ほとんどの放射性物質は取り除くことができる、と説明しています。ただし、トリチウム水は、水と分子構造がほとんど同じであるため、ALPSでも除去できない、と言っています。だから、ALPSで処理した後の「ALPS処理水」という名称の放射性汚染水を海水で薄めて(※国の基準の40分の1、WHO(世界保健機関)飲料水基準の7分の1)、1㎞先の沖合に放流することを政府が決定し、今年の春から夏にかけて実施する、というのです。

 さらに、「国の小委員会の委員を務めた茨城大学の田内広教授は、トリチウムが体内に取り込まれてDNAを傷つけるというメカニズムは確かにあるが、DNAには修復する機能があり、紫外線やストレスなどでも壊れては修復しているのが日常。実験で、細胞への影響を見ているが基準以下の低濃度では細胞への影響はこれまで確認されていない」と話しているとNHKが伝えました。そのことを報じたNHKは、低い濃度を適切に管理できていればリスクは低いとする政府や東電の主張をあと押しする役割を演じているように思います。

 おまけに、国際原子力機関IAEA)は、各国のほかの原発で行われている排水放出に似ているとして、この計画を支持しています。IAEAのラファエル・マリアーノ・グロッシ事務局長は、「海洋放出はどこでもやっている。目新しいことではなく、スキャンダルでもない」と話したそうです。IAEAは、政府と東電にお墨付きまで与えたのです。

 しかし、わたしは、政府や東電がとりたててトリチウムを全面に押し出して「問題ない」と力説していることに疑問をもっています。本当は、トリチウムの怖さを知っているのではないか、とも思っています。

 

 *分子生物学者の河田昌東氏は、<トリチウムの人体への影響を軽く考えてはいけない>と警鐘を鳴らしています。河田氏がゲスト出演したVideo News の概要から、トリチウムの人体への影響について、以下に引用します。

 「政府は今回海洋に放出されるトリチウム汚染水はICRP(国際放射線防護委員会)の勧告に則った日本の放射性物質の海洋放出の安全基準を大きく下回る水準まで希釈されることが前提となるため、人体への影響は問題がないとの立場をとっている。

 しかし、河田氏はそもそもICRP勧告はトリチウムのOBT(Organically Bound Tritium=有機結合トリチウム)としての作用を明らかに過小評価していると指摘したうえで、トリチウムの人体への影響が明らかに軽く見られていると警鐘と鳴らす。それはトリチウム水がほとんど水と変わらない分子構造をしているがゆえに、人体の組織内に取り込まれやすいという、まさに水素同位体であるトリチウム固有の性質を考慮に入れていないからだ。

 水素に中性子を2つくっつけただけのトリチウム水は、水とほとんど変わらない分子構造をしているため、容易に体内の組織に取り込まれる。人体がトリチウム水(HTO)と普通の水(H2O)の違いを識別できないからだ。しかし、体内に取り込まれたトリチウムは取り込まれた組織の新陳代謝のスピードによって体内にとどまる時間は異なるものの、長いものでは15年間も体内の組織内にとどまり、その間、人体を内部被ばくにさらし続ける場合がある。トリチウムの人体への影響はセシウムのように単に体内に存在している間だけ放射線を出す放射性物質のそれとは区別される必要がある。

 また、トリチウム中性子を放出するとヘリウムに変わるが、その際にトリチウム有機結合していた炭素や酸素、窒素、リン原子が不安定になり、DNAの科学結合の切断が起きると河田氏は言う。体内に入ったトリチウムトリチウム自体が出すベータ線によって人体を内部被ばくにさらすことに加え、構成元素を崩壊させることで分子破壊をもたらすという、他の放射性物質とは明らかに異なる性質を持っている。それががんを始めとする様々な病変の原因となっていることが故ロザリー・バーテル博士らによって指摘されている。」 (※「ロザリー・バーテル(2006年12月1日)カナダ原子力委員会での証言」(『トリチウムの危険性』 2020.04.14in東京 伴英幸・原子力資料情報室に掲載)を参照。) 引用、以上。

 

②ALPSで「処理」しきれない放射能汚染水――〝炭素14

 政府や東電は、ALPSで「処理」しきれないのはトリチウムだけであるかのように言います。他の放射性物質は、ほとんど取り除けたのでしょうか? トリチウムのことだけがデカ写しで報じられ、もっと毒性の強い放射性物質については、完全にとりのぞけたかのように、わたしたちは錯覚してしまいます。

 環境庁のHPのQ&Aでは、次のように記載されています。  

 

 Q ALPS処理水にはトリチウム以外の放射性物質が含まれているのではないか?

という質問に対しての回答を次のように示しています。

A タンクに貯めている水の約7割にはトリチウム以外にも、規制基準以上の放射性物質が含まれていますが、実際に処分を行う際には、これらの放射性物質が規制基準以下になるまで繰り返し浄化処理を実施する予定です。

 現在、タンクに貯めている水の約7割には、トリチウム以外にも、規制基準以上の放射性物質が残っています。これは、事故発生からしばらくの間、貯蔵されている水が原発敷地外に与える影響を急いで下げるため、処理量を優先して実施したためです。
 実際に処分を行う際には、これらの放射性物質が規制基準以下になるまで再度浄化処理を実施する予定です。
 なお、浄化処理を行ってもやはりトリチウムを取り除くことはできませんが、海水で大幅に希釈することにより、トリチウムも含めて規制基準を満たすようになります。この処置によって、トリチウム以外の放射性物質もさらに希釈されることとなるため、より安全性を確保することが可能です。

※2020年9月から東京電力により、多核種除去設備等処理水の二次処理の性能確認試験が行われました。この結果、二次処理前後で放射性物質の濃度が低減され、トリチウムを除く核種の告示濃度比総和が1未満に低減できることが確認されています。(除去対象核種(62種)+炭素14の告示濃度比総和:J1-C群;処理前 2,406 → 処理後 0.35)     ※下線およびゴチック体は、筆者。  引用、以上。

 

 この回答の冒頭で「タンクに貯めている水の約7割にはトリチウム以外にも、規制基準以上の放射性物質が含まれています」と書いてありますが、「ALPS処理水」と呼ばれているものが入っているタンクの中身は、このままでは海に流せないほど放射性物質がたっぷり入っている、ということがわかります。政府や東電のいう〔トリチウム以外はほとんどの放射性物質は取り除くことができる〕というフレーズは、あたかもタンクの中身は、ALPSで放射能を除去したトリチウム水だけのように受け取れます。実にうまく胡麻化されてしまいます。

 しかし、そのことは、冗談ではなく、ALPSの性能にかかわる深刻な問題です。

 また、回答の最後のカッコ書きの部分にある「除去対象核種(62種)+炭素14」という表記が気になりました。政府や東電は、トリチウム以外の62種の核種はALPSで取り除くことができる、と宣伝していましたが、突然「炭素14」が加わっています。「炭素14」は、当初、除去対象に入っていなかったはずですが、なぜ追加されたのでしょうか? そもそも、当初の除去対象に入っていなかった「炭素14」を除去できる能力をALPSは持っているのでしょうか?

 グリーンピースジャパンは、『東電福島第一原発 汚染水の危機2020』で、次のようにショーン・バーニー氏(※グリーンピース・ドイツのシニア原子力スペシャリスト)の報告書を紹介しています。

 *概要より――「報告書では、2011年に汚染水中の多種類の放射性核種の濃度を検出限界以下まで低減できることを示した米国・ビュロライト社のイオン交換技術を東電が採用しなかった経緯についても詳述している。

 ビュロライト社はイオン交換技術に関する数十年の経験を持っていたが、東芝と日立ジェネラルニュークリアエレクトリック社(HGNE)はほとんど持っていなかった。

 ALPSの欠陥により、処理済みの汚染水の72%は再度の処理が必要となっている。それもALPSにより行われるが、疑問である。

 ストロンチウム90のような高濃度の有害な放射性核種に加えて、東電は2020年8月27日、タンク内の汚染水に高レベルの炭素14の問題が存在することを初めて認めた。

 ALPSは、炭素14が長半減期核種であるにもかかわらず、それを除去するように設計されていなかった。炭素14は、無機炭素または有機炭素として自然界の複雑な炭素サイクルに、個体、液体または気体の状態で組み込まれている。したがって、炭素14はすべての生物にさまざまな濃度で取り込まれる。炭素14半減期は5,730年であり、何世代にもわたって全世界の人々の集団被曝線量に寄与する因子となる。

 東電と日本政府は、これまでのところ福島県民や国内外に向けて、炭素14の問題があると気づくのに、なぜこれほど長い年月を要したのかを説明していない。」

                       引用、以上。 

                           

 

③なぜ放射能汚染水を海に流すのか?

 長年原子力廃絶を訴え続けてきた・元京都大学原子炉実験所助教小出裕章氏は、著書『原発事故は終わっていない』(毎日新聞出版・2021年発行)の中で、「放射能汚染水を海に流す、これは究極の環境汚染である」、と批判しています。小出氏は、著書の中で、なぜ政府が放射能汚染水を海に流すのか、について次のように暴露しています。

 「東京電力福島第一原子力発電所で溶け落ちた炉心から発生したトリチウムの量は1~3号機合わせて200トンです。もし、原発事故が起きていなかったら、原子力推進派の構想では、使用済み核燃料を青森県六ケ所村の再処理工場に持ち込み、化学処理をほどこしたあと、プルトニウムを取り出し、残った核分裂生成物はガラス固化して地中に埋設、除去できないトリチウムは海洋放出する方針でした。六ケ所所村再処理工場では年間800トンの使用済み核燃料を処理する計画ですが、もし福島第一原子力発電所トリチウムを含む汚染水を海に流さず、タンクに貯蔵し続ける方策をとることになれば、六ケ所村での海洋放出もできなくなってしまい、再処理工場の稼働自体ができなくなります。だから、政府小委員会、原子力規制委員会東京電力は口が裂けても「タンクに貯蔵し続ける」とは言えないのです。今、福島第一原子力発電所で問題になっている200トン分の燃料に入っているトリチウムなど、彼らから見れば、大した量ではないのです。もし、それが問題だと言えば、もう、六ケ所再処理工場は稼働させられないことになってしまいますから、日本の原子力そのものが根底から崩れてしまうわけです。だから、彼らは絶対に「海に流す」という選択を諦めません。漁業関係者をはじめ、国内外の反発を受けて決定は先送りになっていますが、私は流すと思います。日本という国が原子力を推進しようとする限り、トリチウムは海洋放出する以外の方策は取れないのです。だからこそ、私は原子力を使うこと自体に反対してきたのです。」  引用、以上。           

                                

 わたしは、経産省の小委員会は、放射能汚染水の処理方法について、米国のキュリオン社やロシアのロスラオ社がトリチウムの分離技術を開発したことを把握し検証試験まで行っていたとしても、結局一番安価な〝海洋放出〟という方法を選んだのだと思っていました。しかし、小出氏の説明により、福島第一原子力発電所事故による汚染水の海洋放出は、単に放射性汚染水処理のコストの問題だけではないのだ、と考えるようになりました。

 

 

原子力政策の大転換と軍備増強にNO!!

 福島第一原発大事故から12年目の3月11日、「原発を最大限活用する」という岸田政権の軍備増強と一体化して行われる原子力政策の大転換に反対するために、東京電力本社前と日本原子力発電前の抗議集会に参加しました。

 2月28日、政府は、「原子力基本法」の「改正」を行い、「原子力発電を活用して電力の安定供給や脱炭素社会の実現に貢献すること」を、初めて「国の責務」と位置づける法案を閣議決定しました。福島第一原発事故のあと、政府が閣議決定してきた「エネルギー基本計画」では、将来的に原発への依存度を可能な限り低減していく方向性が示されていました。しかし、政府は、「2050年の脱炭素社会の実現とエネルギーの安定供給のため」と称して「将来にわたって持続的に原子力を活用する」として、原子力政策を大きく方向転換しました。吉田所長が「東日本が崩壊する!」と叫んだあの福島第一原発事故から12年、事故の教訓はなんら「原子力ムラ」の住人達には響かなかったことがわかり、悔しい限りです。

 

政府による原子力政策の大転換のポイントは、次のふたつ

 ①原発の運転期間を最長60年と定められているものを、実質的に60年を超えた運転ができるようにする

 ②新設・増設・建て替えは想定していない、としてきたものを、廃炉となる原発の建て替えを念頭に、次世代型原子炉の開発・建設を進める

 つまり、新たな原子力ムラ(=日本の中枢に巣くう原子力利益共同体のこと)の本音は、原発の運転寿命の延長と再稼働の加速です。実質的には、運転期間の上限撤廃も視野に入っている、といえます。

 この政府の原子力政策の大転換は、ロシアとウクライナの戦争およびそれに伴う火力発電の「燃料費の値上げによるエネルギー供給不足」を〝口実〟にしたものであり、「原子力緊急事態宣言」は解除の見通しもたたないまま、福島第一原発事故などあたかもなかったかのような暴挙です。

 *さて、わたしが〝口実〟と表現したその理由は、「燃料費の値上げによるエネルギー供給不足」というのは嘘だからです。

 資源エネルギー庁の「天然ガスLNG在庫動向」に、「2023年1月25日に経済産業省が発表した「発電用LNGの在庫状況」によると、大手電力事業者の1月22日時点のLNG在庫は約257万トンであった。2022年1月末比では約77万トン、過去5年間の1月末平均を90万トン上回っている。」と記されているからです。発電用LNGは不足していません。

 また、日経新聞(2023年3月1日付)は、「発電用燃料に使う石炭(一般炭)の国際価格が急落している。日本が主に使うオーストラリア産は2月下旬に1トン200ドルを下回り、ウクライナ侵攻前の水準に戻った。欧州の天然ガス不足への懸念が後退し需給が緩んだことが背景にある。電力各社が申請した電力料金の値上げ幅の圧縮につながる可能性がある。」と報じています。燃料費は値下げしています。

 と、いうことは、政府の主張はつまり「原発を最大限活用する」ための〝口実〟でしかない、ということです。しかし、マスコミの多くがこのことを伝えていません。

 

規制委員会が閣議決定の内容を認める決定を急がされた理由

 岸田首相は、今年5月の広島でのG7議長国として、脱炭素経済をぶち上げるためにGX(グリーントランスフォーメーション=緑への転換)関連法案において、原発の運転を優先させたのです。そして、福島第一原発事故以前には原発を規制する立場でありながら原発推進経産省の下に置かれていた「原子力安全・保安院」――その反省にふまえて独立機関として設置されたはずの原子力規制委員会は、ひとりの反対意見を切り捨て、異例の多数決で、閣議決定された「GX実現に向けた基本方針」の内容を認めることを決定しました。政府による、最長60年という運転期間の上限は維持しつつ、規制委員会による審査などで停止した期間を除外し、その分を追加的に延長できるようにする方針を認めるか否かは、極めて重要な問題ですが、わずか4ヵ月の議論でした。なぜ、結論を急いだのでしょうか?

 規制委員会の山中委員長が「法案のデッドライン(締め切り)があるので、やむをえなかった」と記者団に語ったのは、G7を見据えて、今国会に法案提出したい政府の意向に歩調を合わせた為、とマスコミは報じています。

 しかし、この原発政策の大転換を盛り込んだ「GX関連法案」の国会への提出を急がせたのは、昨年7月に行われた〝GX実行会議〟です。この構成メンバーには首相、経産省相などの大臣はもちろんのことですが、電機関連会社社長、そして経団連の十倉会長がいます。この経団連が昨年5月17日に『GXに向けて』という提言を公表しています。

 「経済社会の変革=GXが不可欠」としてGXを「成長戦略の柱」に位置付けています。そして、その中心に掲げているのが「エネルギー供給構造の転換」として原子力の「既存設備の最大限の活用」です。その具体的な表現が、①原発の運転期間の60年超えの延長、②廃炉となる原発の建て替えを念頭に、次世代型原子炉の開発・建設を進める―― ということなのです。

 つまり、政府が、GX会議の決定内容を閣議決定とした「GX関連法案」の内容を認める決定を規制委員会に急がせたのは、独占資本家たちの日本経済の再生のためという意向にそったため、といえます。政府の「基本方針」のなかには、原子力について「エネルギー安全保障に寄与し脱炭素効果の高い電源」とされ、「将来にわたって持続的に原子力を活用する」と明記されていますが、その文言は経団連の提言の表現内容そのものです。

 さらに、驚くこととして、このGX実行会議の構成メンバーには、「連合」の芳野会長が加わっているのです。確かに、「連合」には、電機連合、電力総連が傘下に入っていますが、まさにこのGX実行会議は、政労資が一体化して、原発核燃料サイクルを推進していくものである、といえます。

 

規制委員会の独立性の破綻

 さらに、今回の法律の「改正」によって、現在、原則40年、最長60年とされている原発の運転期間に関する定めは、これまでの原子炉等規制法から原発を推進する経済産業省が所管する法令(電気事業法)に移される見通しです。原子炉等規制法(※原子力規制委員会が所管する法律)から運転期間の規定をなくすということは、何を意味するのでしょうか? 規制委員会の山中委員長は、「運転期間は政策判断で考えることで、規制委員会として意見を申し述べる立場ではない」、と記者会見で発言しています。

 山中委員長の発言は、原発の運転期間は、政府の「政策判断」でいくらでも老朽原発を稼働できる、ということを示していると思います。つまり、規制委員会は、「三条委員会」であることをやめ、経済産業省の下で科学者たちが集まって、脱炭素社会の実現などに向けて、原発の最大限の活用を図る政府方針について、原発の運転寿命の延長と再稼働が、あたかも科学的に根拠のあることであるかのように国民に示すことが使命である、という機関に変えられたということです。原子力規制委員会は、ふたたび経産省と一体化したことを自ら衆目に表明したのだ、といえます。そもそも規制委員会は、原発そのものに反対はしていません。あくまでも原発の稼働コストを抑えて、老朽原発をギリギリまで稼働していくために、大甘の「規制基準」に適合しているか否かを審査する、というだけの機関です。その「規制基準」は、もはやただの紙切れとしてなってしまった、ということです。

 *「三条委員会」は、一般に行政委員会とよばれ、府省の大臣などからの指揮や監督を受けず、独立して権限を行使することができる合議制の機関。国の行政機関の名称や機構などを定めた国家行政組織法第3条に規定されているため、三条委員会とよばれる。第3条では、府と省を内閣の行政事務を行う組織とし、その外局として、委員会と庁を置くことを規定している。三条委員会は庁と同格の行政機関であり、高い独立性を保つために予算や人事を自ら決定し、独自に規則や告示を制定することができ、それを命令、公表する権限が与えられている。

 

汚染水の海洋放出に反対!

 政府は、福島県漁連たちとの約束(※政府と東電は、2015年、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わない」と表明)を反故にして、放射能汚染水を「処理水」と言い繕って今春か夏にもトリチウムの濃度を海水で薄めて汚染水の海洋投棄を既成事実化しようとしています。

 しかし、2年前には今春としていたものが、地元の漁業者だけでなく全国の漁業協同組合が猛反対しているため、実施が延期されています。

政府と東電は、春から夏に汚染水の海洋放出を始める計画ですが、保管中の処理水の7割は放出基準を満たしていないため、ALPSで再び浄化処理しなければならない、とのことです。処理に伴う廃棄物問題が解決できないまま、放出への準備ばかりが進んでいる状態です。政府は全漁連の要望に応じる形で、水産物の販路拡大の支援や風評被害で需要が落ち込んだ場合などに支援のための基金を設けた、といいますが、漁業で生計を立てていた以前の生活は、もどってはきません。彼らが願うのは、原発事故前と同様に大漁を目指して海に出て自分の力で稼ぐ、そんな当たり前の漁業の姿を取り戻すことです。

 全漁連は「このこと(=支援のための基金を設けたこと)のみで漁業者の理解が得られるものではなく、全国の漁業者・国民の理解を得られない海洋放出に反対であることは変わるものではない」、と怒っています。わたしも同じ気持ちです!

 

そもそもトリチウムは、薄めれば、政府や東電の言うように健康被害がないものなのか? 

 分子生物学者の河田昌東氏は、「トリチウム放射線のエネルギーが低いためにその影響が過小評価されがちだが、ベータ線被曝だけでなく、生体分子の構成成分の破壊を通じて、他の放射性物質とは全く異なる生物への影響もたらすことが大きな問題である。トリチウムの海洋放出は、政府の言うような単なる風評被害ではなく実害が起こる。」と警鐘を鳴らしています。実際に、子宮胎児への影響の報告があるとのことです。

 政府(資源エネルギー庁)や東電のHPの説明では、要は量の問題で、何の心配もないかのように記載されています。まことに恐ろしい!

 なお、「原子力基本法」の「改正」については、今後、そのデタラメ性をブログに掲載していきたいと思います。

ロシアのウクライナ侵略戦争に反対! 米欧の対抗的軍事支援に反対! ――沖縄戦から見るロシアとウクライナの戦争

 子どもの日に、友人に誘われて、神田香織さんの講談「沖縄戦―ある母の記録」を聞きに行きました。この講談は、沖縄戦でふたりの子どもと夫、母親ら親族を11人失くした・沖縄戦語り部の安里要江さんの手記をもとにしたものです。

 ロシアのプーチン大統領ウクライナに軍事侵略をしてから2ヵ月余がすぎてしまいました。この侵略は、いかなる理由を付けようと、絶対に許すことはできないと思います。プーチン大統領は、マウリポリのアゾフスタリ製鉄所の地下シェルターに避難している子供たち・女性・高齢者がいることを承知の上で、爆撃をやめようとはしません―― そのようなウクライナが戦場になっているときに、わたしは神田さんの講談を聞きました。

 神田さんは、沖縄戦で、住民や日本兵が隠れていたガマ(鍾乳洞)の中の様子を、ジメジメとしていて、鼻をつく屎尿や死臭、垢まみれの身体の臭さで充満していた、と力を込めて会場に響き渡るような、しかし、低く、唸り声をあげるように語ってくれました。証明の明るさも落とされた会場で、わたしは、まるで自分がガマの中に居るかのような錯覚を覚えました。わたしは、神田さんが語る光景を全身で受けとめながら、TV報道と重ねていました。ロシア軍からの攻撃が続く中、アゾフ大連隊(ウクライナ内務省管轄)が抵抗を続ける・アゾフスタリ製鉄所の地下シェルターは湿気がひどく、避難してきた人たちが持ってきた衣料と同じように、傷口が腐っている――とTVでは報じていました。その衣類にはシラミが、傷口にはウジが湧いているのではないか、と思いながら、わたしは神田さんの講談に聞き入っていました。

 神田さんの語りは続きます。後に語り部となった安里さんは、乳飲み子を抱えながら11人もの親族とともに、アメリカ軍の砲弾を避けようと、ガマに入ろうとしました。でも、日本軍の兵士に入らせてもらえず、やっとのことで蝙蝠の住み家のガマにたどり着きます。

 ここでは、お腹をすかせた子どもたちが泣いたり、お乳が出ないので赤ん坊が泣くと、米軍に居場所が知れることを恐れた日本兵が、「子どもを泣かすとバレてしまう、子どもを泣かすと始末するぞ」と銃剣をつきつけて脅すのです。〝始末〟は、実際に行われました。

 アゾフスタリ製鉄所からは、避難した民間人たちが人道避難していると報道されています。しかし、アゾフ連隊の隊長が、「民間人がいると、思いっきり戦えないんだよ」とつぶやいていた映像が、一瞬TVで放映されたことを思い出しました。わたしは、この言葉を聞いて、兵士にとって、民間人は作戦の足手まといになる存在なのだと感じ、ぞっとしました。

 さて、沖縄戦では、根こそぎ動員が行われました。ウクライナでは、ゼレンスキー大統領が、「国民総動員」体制を敷いて、18歳から60歳までの男性の国外脱出を禁止しました。まさに、「根こそぎ動員」です。そして、一般市民に軍への召集令状(日本のいわゆる〝赤紙〟)を届けたのです。届出先は、なんと、市民が国外避難したポーランドにまでにおよびました。また、ゼレンスキー大統領は、国外脱出を図る男性に対しての拘束も命じています。

 このことは、権力を持つ為政者や資本家たちにとっては、労働者やその家族たちの命より、国家を守ることが大切なのだ、といっていることを意味すると思います。わたしは、泣きながら「死にたくない」と訴えていた子どもたちの顔が目に焼き付いています。日本にいるわたしに、何かできることはないでしょうか? わたしは、ロシア国内で、官憲に負けずに、反戦デモを行うロシア市民に希望を見出しています。わたしも、この機に「改憲」や原発推進を目論んでいる日本政府に、「NO! WAR」を訴えようと思います。ゼレンスキー大統領は、欧米諸国に〝スイーツはいらない! 武器をよこせ!〟と訴えています。ウクライナへの武器供与は、この戦争を長引かせることにつながります。その結果、アメリカの軍需産業は、ぼろ儲けしています。まるで、「アメリカはウクライナ戦争を愛している」(インド・リパブリックTV)かのようです。これ以上、一般市民の犠牲者をださないために、ロシアもウクライナも武器を捨てることです。

 戦争による一番の犠牲者は、戦場の非戦闘員たる労働者やその家族、病人やけが人、障害者、高齢者たちです。そして、最前線に送られてお互いに殺し合いを強制されている兵士たちもまた、犠牲を強いられた労働者なのです。沖縄戦がわたしたちに教えていることは、労働者やその家族たちが起こした事ではない戦争を止めるためには、労働者やその家族たちがそれぞれの為政者たちに「No! WAR」を訴え、それぞれの国の労働者やその家族たちが国際的に連帯することだと思います。

 それが、沖縄に昔からある・「玉砕」のアンチの意味を持つ「命(ぬち)どぅ宝」という考えにもつながります。戦争の犠牲者たちは、今でも、戦争美談の役者にされてはならないのだ、とわたしは思います。

                            (2022.05.05)

◇◆◇ レ・ミゼラブル『民衆の歌』についてコメントをいただきました。

☕このコメントについて、返信する際に、わたしはいろいろ考えさせられ、学ぶことがありました。

 

*〔挿絵について〕

 「これは、違ったら、すみませんが、自由の女神 ドラクロワの摸写でしょうか?

フランス革命関係でしょうか?」 (山口さんより)

 

**このコメントついて、わたしはつぎのように返信しました。

 山口様

 コメントありがとうございます。

 問い合わせのドラクロワの『自由の女神』の絵は、1830年の7月革命の民衆を導く「女神」が主題になっています。彼女は、「三色旗」を手にしています。

 わたしが描いた絵は、1830年7月革命の2年後の「6月蜂起」(エンゲルスは、後に「6月革命」といっています)を、題材にしています。

〔豆知識〕

 1789年、フランス革命が勃発。ルイ王朝は打倒されましたが、王政が復活しました。

 1830年、7月革命。7月27日~7月29日は「栄光の3日間」といわれています。 これにより、ブルボン朝は再び打倒され、その後、ブルジョアジーの押す、ルイ・フィリップが王位に就きました。

 このブルジョアジーの利害を体現している王制に対する、学生と建築労働者、店員たちの蜂起が「6月蜂起」です。ゆえに、彼らのメインの旗の色は、“赤”なのです。ブログの絵のバリケードの上の真ん中で赤旗を振っているのは、映画『レ・ミゼラブル』の中で、最後まで闘った学生のリーダーです。

                                                      

 ***このやりとりについて、中村さんから、次のようなメールをいただきました。

 

 「そうすると、この絵は、映画のその場面を思い起こして描いた、ということなのでしょうか。

 また、そうすると、レ・ミゼラブルは、――私は、小学校の教科書でのジャンバルジャンと新聞でのミュージカルの宣伝広告でしか知らず、まったく無知なのですが、――フランス大革命でもパリ・コミューンでもなく、この1832年の6月蜂起とそれに至る歴史的過程を背景として描かれている、ということなのでしょうか。成長したコゼットやマリウスやエポニーヌだったかもう一人の女性がこの6月蜂起に登場する、ということになりますよね。そうすると、ユーゴーは、この闘いをたたかった学生や底辺の民衆=プロレタリアに共感していた、ということになりますね。」

 

 **** ☕

 新たなことを知った中村さんのワクワク感が伝わってくる、とても嬉しいメールでした。

 実は、原作者のユーゴーは、1832年6月の学生や労働者たちの蜂起を指導した秘密結社「レプブリカン」のメンバーでした。この蜂起の銃撃戦の最中、バリケードの中にいたのです。そのユーゴーが、『レ・ミゼラブル』のラストシーンに、実際あった1832年の6月蜂起を取り入れたのでした。

 1830年の7月革命によりブルボン朝が倒れた後、ルイ・フィリップが王位に就きますが、ブルジョアジーが潤う傍ら、プロレタリアはあいかわらず抑圧と貧苦にあえいでいました。この憤懣が爆発したのです。

 ユーゴーは、『レ・ミゼラブル』の中で、当時のフランスのプロレタリアの現実を見事に表現しています。

 ジャン・バルジャンは、親代わりに育ててくれた姉の7人の子どもたちに食べさせるために、パンを1本盗んだ罪で、19年も投獄されました。

 ジャン・バルジャンの養女になる前のコゼットの母ファンティーヌは、子供がいることがばれて工場を解雇され、コゼットの養育費を工面するために、髪と前歯を売り、売るものがなくなって自分の身体を売るようになりますが、当時の貧民街では珍しいことではなかったようです。※マルクスは、当時の悲惨な現状を『経済学・哲学草稿』で、つぎのように書いています。

 「この機構は、ひとびとをしてこのように賤しい種々の職業、このように悲惨で辛い零落へといやおうなしに陥らせるので、それと比べると、未開状態の方が王様の境遇であるかのように思われるほどである」 「街路をさまようこれらの不幸な女たちが悪徳の生活に入ってからの平均寿命は6年ないし7年である。」

 

 ☕さて、『レ・ミゼラブル』の中で見落としてはならないことは、まだ階級意識に目覚めていないとはいえ、1832年6月、労働者たちが、ブルジョアジーの押す王制を打倒するために立ち上がった、ということです。この闘いが、16年後の2月革命の闘いに引き継がれたのだ、ということです。

 しかし、わたしの前回のブログでは、このことが十分に表現されていませんでした。そのため、中村さんは、山口さんのコメントに対するわたしの返信を読んで、驚いたのでした。現実の闘いは、『民衆の歌』の世界よりももっと進んでいて、ブルジョア革命の枠内での闘いというものではなく、“自由”を突破する形で闘われたのだ、ということを感じたからです。わたしは、中村さんのメールを読んで、やっとそのことに気づきました。

レ・ミゼラブル『民衆の歌』

 

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民衆の歌が聞こえるか? 怒れる者たちの歌が 二度と隷属しない者たちの!

 今日は、わたしの大好きな歌を紹介します。

 映画『レ・ミゼラブル』のラストのクライマックスで歌われる『民衆の歌』です。原作者のヴィクトル・ユーゴーは、1832年6月5日~6日のパリで発生したパリ蜂起を題材にしています。 ちなみにこの蜂起は、2年前(1830年)の7月革命(ブルジョア革命)とその反動のなかでの最後の蜂起です。

 映画の中では展開されていませんでしたが、当時のパリは、コレラが蔓延し、飢饉のなか、民衆の不満や怒りが爆発寸前でした。

 バリケードの中で、政府軍の攻撃を待ち受ける学生たちがプロレタリア(賎民)たちと一緒に歌った歌です。特に心に焼き付いたのは、スラム街で生きるガヴローシュ少年の姿です。バリケードをのりこえて、銃弾を拾いにいって、銃殺されます。

 ここで歌っている民衆は、ほとんどが政府軍の銃弾の犠牲になります。けれど、彼らは、ラストシーンに再び登場し、バリケードの上に立ち上がり、『民衆の歌』を歌います。そうすることで、悲劇に終わらせるだけではなく、虐げられた者たちの未来への希望がこめられているように思います。

 みなさんは、どのように感じるでしょうか?

 

 

民衆の歌   Do You Hear the People Sing?

作詞:BOUBLIL ALAIN ALBERT

作曲:SCHONBERG CLAUDE MICHEL

英訳詞:HERBERT KRETZMER

Do you hear the people sing?
Singing a song of angry men?
It is the music of a people
Who will not be slaves again!

   民衆の歌が聞こえるか?

   怒れる者たちの歌が

     それは民衆の歌う歌

     二度と隷属しない者たちの!

When the beating of your heart
Echoes the beating of the drums
There is a life about to start
When tomorrow comes!

   胸の鼓動が

   ドラムを叩く音と共鳴する時

   新たな暮らしが始まるのだ

   明日が来れば!

Will you join in our crusade?
Who will be strong and stand with me?
Beyond the barricade
Is there a world you long to see?

Then join in the fight
That will give you the right to be free!

   我らの革命に加わらないか?

   次は誰が強くなり共に立ち上がるのか? (共に立ち上がろう)

   バリケードの向こうには

   君たちの待ちわびていた世界があるのだ

   さぁ共に闘おう

   搾取なき自由の王国を創るために!

Do you hear the people sing?
Singing a song of angry men?
It is the music of a people
Who will not be slaves again!

   民衆の歌が聞こえるか?

   怒れる者たちの歌が

   それは民衆の歌う歌

   二度と隷属しない者たちの!

When the beating of your heart
Echoes the beating of the drums

There is a life about to start
When tomorrow comes!

   胸の鼓動が

   ドラムを叩く音と共鳴する時

   新たな暮らしが始まるのだ

   明日が来れば!

Will you give all you can give
So that our banner may advance
Some will fall and some will live
Will you stand up and take your chance?

The blood of the martyrs
Will water the meadows of France!

   君はすべてを差し出してくれないか

   我らの旗を前進させるために

   倒れる者もいれば

   生き延びる者もいるだろう

   立ち上がり チャンスに賭けてみないか?

   この闘いの犠牲者たちの血潮が

   フランスの大地を赤く染めるのだ!

Do you hear the people sing?
Singing a song of angry men?
It is the music of a people
Who will not be slaves again!

   民衆の歌が聞こえるか?

   怒れる者たちの歌が

   それは民衆の歌う歌

   二度と隷属しない者たちの!

When the beating of your heart
Echoes the beating of the drums

There is a life about to start
When tomorrow comes!

   胸の鼓動が

   ドラムを叩く音と共鳴する時

   新たな暮らしが始まるのだ

   明日が来れば!

 *日本語訳は、資料をもとにして、わたしが訳しました。多少、意訳になっています。

 さて、パリの6月蜂起から16年後の1848年、2月革命が起こりました。マルクスの盟友であるフリードリッヒ・エンゲルスは、1848年の革命に関して論じた回顧集では、1832年の蜂起を「6月革命」といっているそうです。すなわち、2月革命は、6月蜂起の戦術的な失敗――性急に市庁舎に向かってしまった点など――を研究し、それをさけたことにより成功した、と論じているそうです。1832年のプロレタリアの闘いは、1848年のマルクスに引き継がれ、息づいています。

 「万国の労働者たちよ、団結せよ!」(『共産党宣言』)の呼びかけは、今、わたしの中で生きています。

                                                        

 

「会計年度任用職員制度」は、いったい誰が得をするの?? (*その3)

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市役所のAI窓口……


   私は、数年ぶりに、市役所に出かけました。カウンターには、眠たそうな顔をした職員たちが、機械から押し出したような声を出して、住民への応対をしていました。以前との違いに驚いたのは、市役所内のいたるところにある、除菌ポンプの数より多い「監視カメラ作動中です」のスッテカーでした。市役所への来庁者は全員監視されているのでしょうか? それとも、職員たちが監視されているのでしょうか? 職員たちは、どんな気持ちで働いているんだろう? 

 そんなことを考えながら待っている間に事務室を覗き込んだら、年配の職員がひとりで電話対応をしていました。事務室の電話は何台もうるさく鳴り響いていましたが、他の職員は誰も出ようとはしません。窓口付近にいた常勤と思われる職員が、その年配職員が電話応対中であるのにもかかわらず「カイニンさ~ん、さっさと対処して、次の電話出てよ!」、と叫んでいました。そして、そばにいる常勤と思われる職員に、小声で、「カイニンって、常勤職員と同じ仕事をしなくちゃならないのよねぇ」、とブツブツ言っていました。私は、その「カイニンさん」と呼ばれた年配職員の人が気の毒になりました。窓口付近の常勤職員らしき人は、事務室にいる他の常勤職員と思われる人たちには、電話を出るようには言いませんでした。なぜなのか分かりませんが、電話に出なくてもいい職員がいるのか、とビックリしました。

 年配の「カイニンさん」と呼ばれた職員は、「(私にはちゃんと名前がありますとばかりに)私の名前は小森です! 手があいていたら、電話をとってもらえませんか」、と返していました。でも、電話は鳴りっぱなしで、結局、その年配の職員が順番に応対することになりました。

 私は、長いこと待ってから、住民票を受け取ると、後ろ髪を引かれる思いで帰宅しました。帰宅後、友人の裕さんに電話して、市役所での出来事を話しました。裕さんは、ハ~ッ、と長く息をはきながら、その年配の職員の話をしてくれました。

 年配の職員は、小森さんといって、再任用職員を5年務めたのちに、会計年度任用職員になったとのことでした。住民係で長いこと勤務しているが、常勤職員の異動が3年ぐらいに行われるため、彼女を知る人がほとんどいない、とのこと。住民係で部会を再建しようとしたが、協力してくれる人がどんどん異動させられた、とのこと。そのうち、彼女は、会計年度任用職員になったが、組合の執行部は会計年度任用職員を組合員にオルグしようとはしない、とのことでした。

 当初私は、住民係の常勤と思われる職員に腹をたてていたのですが、裕さんの話を聞いて、「それは、組合執行部が悪い!」、と裕さんに怒りをぶつけてしまいました。それにしても、小森さんが部会の再建に失敗したことは、とても悔しい、と思いました。

 さらに、小森さんは、以前常勤職員であったため、知らず知らずのうちに、「働かされてしまう」のではないか、と私は思いました。常勤職員の経験があるから、電話対応も、窓口対応もそつなくこなしてしまう小森さんは、常勤職員の半額以下の給料で、常勤職員並みの仕事をこなしてしまっています。しかし、そんなことは無頓着に、同じ職場で働く若い常勤職員は、自分たちの手脚のように、小森さんを使っている、これっておかしい! と私は思います。

 私は、窓口職員の疲れた顔を思いだして、裕さんに言いました。「さっきは、小森さんに電話対応を押し付ける常勤職員に頭にきていたけど、小森さんも何でもこなしてしまう、ということはいいことかしら? 他の会計年度任用職員の人から見たら、小森さんはどう映っているのかしら? 常勤職員にゴマ擦っているとか、もとは常勤職員だったからね、とやっかみなんかないかしら?」

 裕さんは、「私はもともと臨時職員だから、そこいら辺は微妙だよね。小森さんは常勤職員の時は、私にも声をかけてくれたり、仕事もいろいろ教えてくれたりしていたけど……。同じ雇用形態の人どおしで対立していたらダメだよね。私は、以前、明ちゃんに教えられて、一瞬、当局の術数にはまってしまったことを思い出したわ。それから、むずかしいけれど、常勤職員と会計年度任用職員との亀裂はさけないとね。団結するのを怖がるのは、当局だものね。それにしても、組合執行部はやる気がないわね」、と私にいいました。

 私は、思いました。市当局は、常勤職員のひとり分の予算で3人を雇えるような低賃金で非常勤職員を「定数外」の形で雇ってきました。「定数外」とは、定数としては、存在しない、ということです。当局は、そうやって、常勤職員の退職不補充の穴埋めを行ってきました。常勤職員が有休や生理休暇を使うのを躊躇せざるを得なかったりするのは、このことに原因があるのだと思います。

 私は、雇用形態の違いをのりこえて、市当局による人員削減による労働強化に反対していけるような労働者の団結をつくりだしていくことの必要性を感じました。

 

   

「会計年度任用職員制度」は、いったい誰が得をするの?? (*その2)

 私は、雨上がりのある晴れた日の午後に、久しぶりに裕さんと待ち合わせをしました。

 裕さんの顔色は、あまり良くありませんでした。私は、心配して、「顔色が良くないけど、仕事が忙しいの?」、と聞いてみました。

 すると、裕さんは首を振って、同僚のことが心配なのだ、と話してくれました。

 裕さんの話では、違う課の会計年度任用職員のふたりが、今年の3月はじめに、「話が違う!」と課の庶務担当と人事課に噛みついた、とのこと。そのふたりは、超ベテランの元臨時職員でした。今年の2月には、週2日で、1年間の約束だったのに、3月になったら「4月・5月の2ヶ月で勘弁してほしい」、と係長から言われ、約束が違う! と庶務担当と人事課に抗議したのでした。

 すごいね! 頑張ったね、と私がふたりの勇気を称えると、裕さんは、ひとつため息をついてこう言いました。

 「そお、頑張りすぎちゃったの、結果的には1年間働けることになったんだけど、わがままをいったのよ」、と裕さんは弱々しく応えました。「彼女たちったら、窓口にも出たくない、電話もとらないって言ったのよ」、と続けました。「あれ? 裕さんは窓口にも出てるし、電話にも出ているんだよね」、と私が念を押すと、裕さんは頷きました。

 「そんなこと、今までやったことなんかないからできない、って係長にいったのよ。係長は、1年働けるって口約束した手前、ふたりに押されちゃって、窓口にも出なくていいし、電話もとらないでいいっていうことになっちゃったの」、と裕さんはぼそっと話してくれました。課が違うから、今頃になって噂を耳にしたとのこと。

 私が、裕さんに「それじゃぁ、そのふたりは、来年の契約は危ないね」というと、裕さんは「本当にそうなんだよね。だって、常勤さんたちが、『あのふたり、来年度はないね、素直な若い子がいいよ』って話しているんだって」、と返事をしました。

 私はやりきれない気持ちになりました。「会計年度任用職員制度」とは、合法的に雇止めができる制度なのだと、そのふたりが気づいていないからです。臨時職員の頃から、そのふたりは、窓口にも出ないし、電話もとらなかったそうです。それがずっと通ってきたから、今度も大丈夫と思っていたのでしょうが、よその自治体だったら、即首になっていたかもしれません。何しろ今度の制度は、4月から1か月間は、実は試用期間であり、その期間の勤務状態を自治体当局が判断して首にすることができるのだからです。このことは、裕さんも知りませんでした。

 私は、この制度の反労働者性に苛立ちを覚えましたが、この制度がなくならないうちは、労働者たちは、不本意ながら、注意しなければならない、と裕さんと話しました。

 裕さんは、胸のつかえが少しはとれたかのようでしたが、「組合は、何もしてくれない」、と悔やんでいました。

 私は、仕事上でも互いに協力し合って、「会計年度任用職員」だけでなく、正規職員も職場で働くみんなが団結して、要求を勝ち取れるようにしなくちゃね、そのために裕さんも頑張ろうよ、と言って励ましました。