わたしの中の『資本論』

*働きながら、『資本論』を勉強しています。

☕「日本型 同一労働同一賃金」のおかしなところ……❓

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雇用契約の場面 資本家からみた労働の価格(こ奴の日給は5000円だ!)  

  労働力の価格?? 労働の価格??(わたしの能力を高く売らなくちゃ!)


 前回(2月5日)の続きを書きます。

 まず、「日本型」について、竹信三恵子教授が言っていることをわたしなりにまとめてみます。

 すなわち、日本型とは、〈「ウチの会社」のやり方で、会社が裁量で「同一」を決められるようなこと、すなわち、「さまざまな要素を総合的に勘案し、自社にとって同一労働と評価される場合に、同じ賃金を払うこと〉、とわたしは捉えました。

 だから、この制度は、今まで以上に非正規労働者がこき使われることが予想され、正規労働者も今後賃下げが待ち受けている、ということなのだと思います。

 さて、ここで、ちょっと“商品世界の謎解き”をしてみようかと思います。

 「謎解き」といってもたいしたことではありません。このブログを読み進めていけば、「ふぅ~ん、なるほどね、そういえばそうだわ」、と思うかと。

 わたしたちは、生活に必要なものはなんでもかんでも商品になり、お金と交換でないと手に入らない、そういう資本主義社会のもとで暮らしています。そして、「時は金なり」の諺どおりのことを経験しています。そのことを経験するのは、正規労働者であれ、非正規労働者であれ、労働者が資本家に雇われる時です。東京都なら時給1015円(※2020年改定の最低賃金は、据え置きで1013円)、8時から17時まで昼休憩1時間、とかいう時です。

 つまり、労働者は、自分たちが買っているほかの商品と同じように、自分の労働する能力を商品として、時間ぎめで資本家に売っているのです。

(@_@)労働者は、「賃金」ということばに騙されている!

 わたしたち労働者にとって、資本家に売れる唯一のものは労働力という商品です。でも、資本主義社会では、「賃金」は、その人の「労働への価値(=ねうち)」に対して、支払われているようにみえます。

 マルクスは、このことについて、「労働は、商品として市場で売られるためには、売られる以前にかならず実存せねばならないであろう。ところが、労働者が労働に自律的存在を与えうるとすれば、彼は商品を売るのであって労働をうるのではないであろう」、と解明しています(第1部第6篇第17章 労働力の価値または価格の労賃への転形)。

 資本主義社会では、一般的に、賃金が後払いであることから、雇用契約の際に労働者が資本家に売るものは「労働」であると、思ってしまいます。しかし、このことが、「かくして労賃の形態は、必要労働と剰余労働とへの・支払い労働と不払い労働とへの・労働日分割のあらゆる痕跡を消滅させる。すべての労働が支払い労働として現象する」(前掲)、とマルクスは、暴露しています。

 資本家にとっては、雇用契約を結び、その労働者の持っている商品(=労働力)を買うということは、資本家が労働者に支払うのは必要労働分の価値(=お金)だ

ということが、事後的に労働者にはわかるのです。

 労働者に支払われた賃金が、5000円/日であるとしましょう。しかし、資本家にとっては、その労働者が1日働いて10000円の価値を生み出すからこそ雇うのです。

 ここで、もう一度「日本型同一労働同一賃金」にもどりたいと思います。いままで勉強してきたことからすると、「日本型同一労働同一賃金」という制度は、国際基準を排除した自企業にとって剰余価値をできるだけ多く生産する価値のある「労働」と評価された場合には、一部「同一賃金」を支払う、といったものにすぎない、ということです。そして、連合指導部も、そのことを了承しているのです。労働者には、さらなる労働強化と労働者間の競争が強いられることが予想されます。                        (2021.02.12)